『坂の上の雲』のまち 松山 フィールドミュージアムマップ
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(注) 開館日時は、イベント開催や祝日等により変更される場合がありますので、各施設までお問い合わせください。 なお、料金につきましても同様にお問い合わせください。『坂の上の雲』のまち松山久米官衙遺跡群は、7世紀前半から造営された役所とその関連施設で、四国唯一の国指定官衙関連史跡。政務を行った政庁や税を納めた正倉院、回廊状遺構などがこれまでに確認されている。木々の立ち並ぶ高まりは、7世紀に造営された来住廃寺の金堂基壇跡で、県内最古の古代寺院の一つ。「久米評」と線刻された須恵器をはじめとする出土遺物は松山市考古館で展示されている。文政4年(1821)、米山は日尾八幡神社の神官三輪田清敏の長男として誕生。本名は常貞。後に神主となる。米山の書は、神社の注連石や幟など松山の各所にのこされており、『坂の上の雲』フィールドミュージアムの貴重な文化資源となっている。日尾八幡神社地域を愛し、地域に愛された書家三輪田米山の誕生地ひおはちまんじんじゃ34E4松山市南久米町2伊予鉄道久米駅から徒歩8分089ー975ー1744豊島家は、もともと河野家に仕えた武家で、現在地に分家してからは大庄屋まで務めた家柄。複雑に構成された屋根の様子から「井門の八棟造り」とも呼ばれる大邸宅は、国指定重要文化財。幕府の巡見使や藩主、高僧しか使えない座敷部分の、細部にまで気配りされた意匠は見事。坊っちゃんスタジアム内の野球歴史資料館。バッター姿の等身大正岡子規像がある。ベースボールが好きで、通称「のぼる」にちなみ雅号を「野球(のぼーる)」としたこともある子規は、ベーズボールを詠んだ俳句や短歌を多く詠んだ。「打者」「走者」「直球」「飛球」といった野球用語を翻訳したのも子規である。その貢献が認められ、没後100年にあたる平成14年、野球殿堂入りを果たした。 089ー968ー6660  JR市坪駅から徒歩1分 9〜17時  月曜日から金曜日(ただし祝日は除く。)、12月29日から翌年1月3日  松山中央公園駐車場利用(プロ野球開催日は有料になる場合あり)相向寺には、子規の叔父・加藤拓川(本名・恒忠)の墓がある。拓川は松山市長も務めた政治家。市長時代に城山を市民公園にするなど、地元のために力を尽くした。墓碑には遺言で「拓川居士骨」とだけある。境内には明治28年に子規が詠んだ「真宗の伽藍いかめし稲の花」の句碑が立つ。ありプロ・アマチュア野球の歴史をひもとくの・ボールミュージアム

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