『坂の上の雲』のまち 松山 フィールドミュージアムマップ
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(注) 開館日時は、イベント開催や祝日等により変更される場合がありますので、各施設までお問い合わせください。 なお、料金につきましても同様にお問い合わせください。三津浜と港山の間を結ぶ市営の渡し舟。正式名称は松山市道高浜2号線、つまり市道なので年中無休・船賃は無料だ。室町時代に物資や食料の輸送に使われたのが始まりといわれ、500年を経た現在も、地区住民の生活に欠かせない足となっている。昭和4年築。萬問屋、精米・精麦業を営んでいた森家の商売建築。木造2階建の主屋に連続して門・塀を設け、通りに面する店舗部分の柱間下部は御影石で固め、2階壁面・軒裏全面を銅板で仕上げている。2階は、私設の「三津濱資料館」になっており、当家に残る主に江戸時代から昭和初期までの三津浜に関する品々が多数展示されている。国登録有形文化財。漱石の『坊っちやん』に登場する四十島(しじゅうしま)は、高浜港沖合に浮かぶ美しい島。小説の中で、野だいこが赤シャツにターナー島と呼ぼうと提案した。国の登録記念物(名勝地)である。海岸沿いには子規の「初汐や松に浪こす四十島」の句碑がある。梅津寺海岸一帯の松林は、明治42年に松山にゆかりのある伊藤博文らの寄付を得て育てられたもので、その由来を後世に伝えるために昭和5年に建立された碑。梅津寺にある見晴山の、海に近い丘に好古・真之像が立っている。二人の銅像は、戦前には、道後公園内にあったが、昭和18年の軍への金属物資供出のため撤去された。好古像は、昭和45年梅津寺に再建された。真之像は昭和38年に石手寺境内に再建され、昭和43年に梅津寺の大丸山に移設されたが、平成30年7月豪雨の土砂崩れにより令和元年12月に現在の場所へ移り、兄弟の像が並ぶことになった。栽松碑さいしょうひ伊予鉄道梅津寺駅から徒歩3分23B23

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